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水窪川を歩く〜東池袋の歴史〜

K:ここからの眺めが好き過ぎる!池袋東口、美久仁小路。1978年開業のサンシャインシティ建設を、ここから眺めていた人はどんな気持ちだったんだろう。

湧き水が出ていた水窪川が暗渠となる1933年までは、栗の木があり川海老が捕れていたとは想像も付かない。

実際に住んでいた方々のお話から、この辺りの歴史を知ろう。

美久仁小路から繁華街を抜けて東池袋駅方面へ。

途中暗渠の形跡は見当たらないが、今のOWL TOWER付近、居酒屋横の細い蛇行道から急に暗渠らしさが出てくる。

東池袋住人1:水窪川はかつて、手漕ぎ船が浮かび水窪神社のお祭りのあったんだ。今の東池袋四丁目停留所近くの大きな踏切は、大変な賑わいをみせていたよ。この辺りは新しいまちづくりのために、180軒ほどの立ち退きの協力があり、大きく街が変わろうとしているね。都内でも有数の木造密集地域から循環型のまちづくりへ。知り合いがどんどんが少なくなり、寂しくなったよ。

東池袋住人2:愛興舎と呼ばれる牧場があって、疫病が流行り何百頭と牛が死んでしまうんだ。土に埋めて、今の大塚南口の東福寺に疫牛の碑があるよ。

東池袋住人3:この辺りは湿地帯で水窪川の水を利用した、紙漉工業の発展により人が集まったんだ。現在も紙に関する産業は多いよね。巣鴨監獄が出来て都市化したよ。監獄と東京市を繋ぐために正門通り(今の坂下通り)が出来たんだよ。城北第一の繫華街大塚と雑司ヶ谷鬼子母神前間に王子電車「水窪停留所」があって、水窪商店街(現:日の出商店街)は大いに賑わったんだ。

東池袋住人4:戦後の東池袋4丁目は麦畑やネギ畑が多かった。

区でも東池袋地区の当時の資料は少なく、IFWとしては住民たちから伺い、貴重な資料を人々に発信できるように準備中です。